6月:安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。(マタイによる福音書14:27)

 イエス様の弟子達が、舟に乗っているときに嵐に見舞われ、遭難の危機に瀕するが、イエス様の力で嵐は静まる・・・というエピソードが、聖書には2カ所あります。一つはイエス様が弟子達と一緒に乗っておられます。その時はイエス様は弟子達に次のように語られました。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」もう一つは、イエス様は一緒に乗っておられず、弟子達が嵐に翻弄されているのを見て、湖の上を歩いて弟子達の所に来てくださいます。その時に言われたのが、上記の聖句です。前者の言葉は厳しく、後者は優しいです。ここには、イエス様の弟子達の鍛え方、と言いますか、教育方針のようなものがあるように思います。それは、イエス様が居なくても怖がらずに課題に立ち向かえる、つまりは、弟子達の「自立」です。後者の言葉は、弟子達がまだ独り立ちできないのを見て、イエス様が優しく励まして、自立を促しておられるように思います。

 自分を守ってくれていた人から離れて、自立してゆくのは、勇気の要ることです。そのためには、自分への自信と周囲への信頼感が必要です。それらを造りだしてゆくのは、愛された経験と、今も愛されているという確信です。イエス様は弟子達を心から愛されました。それによってイエス様は弟子達に「私が近くに居ても、居なくても、いつも愛しているから、安心して歩み出してごらん」というメッセージを伝えたのでしょう。

 子供たちは大人の保護の元で、少しずつ大きくなってゆきます。大人に守られながら、一つ一つのことに挑戦し、自分の世界を広げてゆきます。そしていつか、大人の手を離れて自立してゆきます。そのためには、大人からいっぱい愛される経験が必要です。自分は愛されている価値あるものだ。今も私は愛されている。自分も人々を愛してゆこう。世界は愛で満ちている。その思いをもって、子供たちは新しい世界へ一歩を踏み出してゆきます。

 いっぱい、いっぱい、子供たちを愛してゆきたいと思います。