8月:平和を実現する人々は、幸いである。(マタイによる福音書5:9)

 イエス様は、今月の主題聖句を含む重要な教えの冒頭で、「貧しい人々は幸い、紙の国はあなた方のもの」と語られました。この地上で貧しい人々、弱い人々に優先的に目を向け、彼らの幸せのために奉仕することが、平和への道であることを、イエス様は示されました。キリスト教における平和への考え方は、この教えに基づいています。

 さて、先日、教会の日曜学校キャンプが行われました。26名の小学生と6名の幼稚園児、そして多くのスタッフたちによる、琵琶湖での1泊2日のキャンプです。保護者の方々もスタッフとしてご奉仕下さいました。今年も無事に、楽しくキャンプを行うことが出来ました。感謝です。キャンプの1日目が終わり、子どもたちが就寝の準備に入り、少しほっとする時間が出来ました。私は疲れを癒やしながら、今日1日のことを振り返り、「幸せだなぁ」と感じました。周囲には、華やかなものがいっぱいあります。キャンプ場は質素で、生活に必要なものしかありません。けれどもここには、こどもたちにとって良いものがたくさんあります。大好きなお友達、子どもが中心のプログラム、子ども達のお世話をしてくれる大人達。キャンプ場の中は、子どもが中心の世界です。大人は子どもたちが楽しくキャンプをすることが出来るように奉仕するのです。キャンプは、イエス様の言われる平和が、実現する場なのだと思わされました。

 平和は人類が心から望むものです。平和な世界の実現のために、今まで様々な方策が論じられ、実践されてきました。その中で、私達が目指すのは、子どもの幸せを通した平和の実現だと思います。子どもの幸せを中信に世界を見つめ、そのために奉仕したいと思います。子どもたちにとって、自分の周りの大人達が、自分のことを大事に思ってくれている、自分のために力を尽くしてくれていると実感出来るのは、どれほど幸せなことでしょう。そして、大人達が、自分だけでなく他の子どもや、困っている人々の幸せのために奉仕している姿を見るとき、大人は子どもの誇りとなり、またこれからの「お手本」となって自分の歩む道を指し示すものになるでしょう。

 子どもたちと共に、平和を祈り求めてゆきたいと思います。

9月:平和な人には未来がある。(旧約聖書*詩編37:37)

 2学期が始まりました。子供たちがみんな元気に幼稚園に来てくれました。みんな素敵な笑顔です。夏休み中にいっぱい楽しいことがあったのでしょう。背丈も伸び、ちょっとずつお兄さん、お姉さんになっているのを感じます。

 残念ながら今年の2学期は、大きな災害のニュースと共に始まりました。大きな台風による東北、北海道での被害、イタリアでの地震の被害、彼の地の人々の苦しみを思います。祈祷書の中に「難民とその他の被災者のため」という祈りがあります。その中に「どうか、戦争、弾圧、災害などのために住まいを失った人々、離散させられた人々、また飢えと病のうちにある人々を憐れみ、その必要を満たしてください」と書かれています。今年のテーマは「平和」です。私達は、「平和」をまず「争いが止むこと」と考えます。けれども「平和」は、「みんなが幸せな世界」です。災害に苦しむ人々を助けることも、平和のための働きです。祈り、奉仕したいと思います。

 「平和」わ、現在の課題であるっだけでなく、未来にも継続さえていくものです。私達大人の使命は、今の平和だけでなく、平和な未来を子供たちのために残していくことでもあります。そのために必要なのは、私達の姿勢です。「どれだけ出来たか」と、結果だけを問うのではなく、「どうしようとしているか」という姿勢が問われます。日々の生活の中で、自分さえよければいい、としているのか、みんなの平和のために少しでも努力しているのか、改めて自分を振り返ってみたいと思います。私達は非力な者ですので、十分な結果を作り出すことは出来ません。けれども、私達が不十分であっても平和のために努めている姿は、子供たちにとって、自分のお手本になり、誇りとなり、そして未来への希望となるでしょう。

 「平和」とは、「平穏無事」という「状態」のことではなく、「みんなの幸せのために努めてゆこう」という「方向性」なのだと思います正しい方向性は、子供たちに明るい未来を与えます。