読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

7月:探しなさい。そうすれば、見つかる。(マタイによる福音書7:7)

 聖書の言葉の中で、最も有名なものの一つでしょう。かつて、NHKの「にほんごであそぼ」で、この言葉の文語訳「求めよ。さらば与えられん。」が取り上げられたことがあります。

 神様に祈り求めれば、必ずかなえられる。神様は、私達に最も良い物を与えてくださる。聖書は、徹底した希望を語ります。

 多分、日本にキリスト教が伝わって、日本人が一番ショックを受けたのが、この言葉だったのでしょう。それまでの日本の文化では、個人よりも集団が重視されていました。個人は、村や町や国に奉仕する者として、それぞれに与えられた役目を忠実に果たしてゆくことが、大切とされていました。それに対してこの聖書の言葉は、一人ひとりが自分の思いを大切にして、その願いの実現のために尽力して良いんだ、ということを示しています。そしてそのような努力を、神様は祝福されるんだ、との信仰を現しています。

 これは、一人ひとりに与えられた幸福追求の権利を保障するものです。もちろんこの考えも行き過ぎると「わがまま」になります。他人の権利を侵す行為は戒められます。それは世俗の世界では法律が行い、そして信仰の世界では、神様は全ての人を愛しておられるという教えが行います。

 私達の祈りはかなえられる。けれども現実には、かなえられない願いもあります。現実は複雑で難しいです。この聖書の言葉は、「料金を払えば希望のモノが手に入る」というような保障を行うものではありません。「神様は必ず私達を愛し、決して見捨てることはない」という希望を語るものなのです。実現しなかったと思える私達の祈りは、形を変えてかなえられているのでしょう。神様は、全力を尽くして、私達にとって最も良いものを、私達に与えようとしておられるのです。

 神様への信頼、未来への希望、これらは私達を強く、優しくしてくれます。子どもたちは当たり前のように希望を持ち、大人はその希望を守ために尽力する、そのような世界でありたいと思います。