3月:『光の子として歩みなさい。』(エフェソの信徒への手紙5:8)

 先日から、数名の緑組さん達が、礼拝堂の絵を描いています。担任の先生の入れ知恵があってか、それを小礼拝堂に並べて帰っています。神様に見せてあげているのだと思います。神様も喜んでおられることえしょう。私も神様のご相伴に預かり、こどもたちの絵を見せてもらいました。どれもこれも素晴らしい。簡潔な線と色遣いで、礼拝堂を適格に表現しています。ステンドグラスの色合いを表現する子、電灯のカバーに空いた十字架の印を丁寧に描く子、内部だけでなく屋根の上の十字架まで描く子、自分の関心のあるものに対する、こどもたちのまっすぐな眼差しが見えてきます。どれもこれも立派な芸術作品です。

 何故こどもたちの絵はこんなに素晴らしいのでしょう。デッサンや遠近法は殆ど無視されています。けれども、その形と色は、見る者の心に直接届いて、心を温かくしてくれるのです。

 誰かが言いました。「芸術家は神様を感じている。」目に見える者を超えた物を感じて表現するのが芸術家なのでしょう。こどもたちはいつも心に神様を感じているのでしょう。「子どものようにならなければ、神の国に入ることはできない」というみ言葉は、真理だと思います。

 見えない物に目を注ぐ、そのまっすぐな眼差しを、ぜひこれからも持っていて欲しいと思います。光のように、まっすぐに伸びて暗きを照らす眼差しを。私達大人の世界はややこしくていけません。何が正しいのか、分からなくなっています。いや本当は分かっているのかも知れません。私達の心がかすんで、まっすぐに物事を見ようとしなくなってしまっているのかも知れません。

 光の子どもと共に生き、私たちも光を取り戻したいと思います。