7月:喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙12:15)

  「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」。こうできたらとても良いと分かっています。けれども、これを実行するのは、なかなか難しいものです。

喜んでいる人を前にすると、羨ましさや妬みに思いが出てきたり、悲しんでいる人を前にすると、「泣かないで」と説得したり、時には「いつまで悲しんでいるんだ」と叱ったりしてしまいます。相手を思いやるのは、難しいものです。

 思いやりは、「できればより良い目標」ではなく、「しなければならない課題」です。現在、思いやりの欠如によって発生している事件が、多く発生しています。宗教や民族の違いなどを主な理由として、相手を攻撃する暴力事件には、相手を理解しようとする意志と、立場の違う相手への思いやりはありません。暴力の連鎖は、私達を追いつめています。相手への思いやりは、私達の日々の生活のために必要なものなのです。

 人間は一人では生きていけない。共に生きていくためには、思いやりが必要。こんな当たり前のことが、何故難しいのでしょうか。子どもたちは、日々思いやりを実行しています。お休みのお友達のために祈り、お友達が元気でいることを喜びます。先日、私が珍しく体調を崩し、幼稚園のお礼拝をお休みしたとき、次の日に、何人もの子どもたちから「大丈夫?」と聞かれました。有り難いことです。「喜びは共に担えば倍に増え、悲しみは共に担えば半分に減る」とも聞きます。子どもたちの明るい笑顔は、お互いを思いやりながら共に生きていく中で、育まれているのかも知れません。