11月:二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのです。(マタイによる福音書18:20)

 一番最初の教会には、当然の事ながら、今のような立派な礼拝堂はありません。整った組織も、十分な資金もありません。ほんの少しの人数の信徒が、それぞれの家などに集まり、迫害を避けながら、ひっそりとお祈りしていました。冒頭の聖書の言葉にもあるように、正に2、3人ほどの教会も多かったことでしょう。社会の中では本当にちっぽけな存在、吹けば飛ぶような無力な教会ですが、けれどもその交わりには、温かさと力がありました。わずか2、3人とは言え、心の底から祈りを合わせ、力を合わせて活動している時には、その交わりのただ中に、イエス様がいてくださるのを、信徒は感じたのです。この聖書の箇所は、聖書記者が交わりの喜びを感じながら、イエス様が言われた言葉を思い起こし、その言葉の正しさをかみしめながら、活き活きと書き記したものだと思われます。

 キリスト教の大切な要素の一つが「コイノニア」~ギリシア語で「交わり」の意味~だと言われています。これはあくまで、愛の交わりです。共に神様に祈り、世々の人々を覚え、困難の中にある人々に奉仕するためのものです。単なる「仲良し集団」ではなく、ましてや、味方の数を増やし敵をやっつけようと言うものでは、決してありません。

 人は一人では生きていけません。人間は本質的に交わりを作りだしていきます。その交わりは、全て愛のためです。2、3人でも、何百人いても、交わりを通し、支え合い、分かち合い、互いの理解を深め、そして共に喜び合うためにこそ、人の交わりはあるのです。そのような交わりの真ん中にはいつもイエス様がいてくださいます。